三浦綾子の『塩狩峠』

三浦綾子の名作『塩狩峠』を先日、読了。この話は、塩狩峠は終盤にちょっとしか出てこない。塩狩峠の事故で自己犠牲を払う主人公、その人生、人格形成が描かれている。

キリスト教と、江戸時代からある儒教(日本仏教)の封建思想とで、死生観が比較されている。

序盤では、主人公(信夫)の祖母が典型的な封建思想の持ち主で、うちは士族の家(武家)だから云々とか、将軍や天皇を崇敬してきたこととか、云う。序盤から狙って、きわめて好対照な人物を出してきているわけだ。

その祖母や父も死んで、信夫は生と死について苦悩するようになる。信夫は祖母の影響を受けて育ったが、次第にキリスト教に関心を示すようになり、クリスチャンにまでなる。

いまでも世間で「日本的」「封建的」「仏教的」と捉えられている価値観や死生観は、中国の儒教のものだ(実は、元来の仏教ではない)。先祖から子孫へと血を受け継ぐことで、個人を超えた意味で永遠の命を得る、そういう死生観だ。だから、長男は我が子を成して家を継がせなければならない。親より先に死ぬのは親不孝。自殺は罪悪。

他方のキリスト教では、全く異なる意味で永遠の命を考える。創造主(三位一体説ならイエスと同じ)のもとに召されて永遠の命を得るという死生観。

主人公の信夫がなぜ、結婚や子にあまり執着しなかったのか。物語終盤の、塩狩峠での列車の暴走事故でもなぜ、冷静に事故対応し、乗客たちを救うためにためらいなく自己犠牲を払えたのか。それは、キリスト教の価値観・死生観があったからだ。

つまり『塩狩峠』のテーマは、キリスト教の死生観と自己犠牲について、だろう。

それだから、日本に江戸時代からある儒教的な価値観や社会思想を対照して批判的に述べる。「日本的な」「右翼的な」差別主義も目立って登場する。キリスト教徒差別、障害者差別、北海道差別、男女差別、感染症差別、さらには「いい年になっても結婚しないのは『かたわ』なのではないか?」とかいう言説までも。日本人としての自認のもとにこうした日本社会の本性をみせられるのを不愉快に思う人も多いだろう、この本を読むと。

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